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元英UKIP党首ファラージ氏、Brexit党を組織し欧州議会選へ

イギリス独立党(UKIP)の元党首ナイジェル・ファラージ氏が、4月12日、新たにBrexit党(Brexit Party)を組織し、欧州議会選に立候補する旨表明した。

YouGovが4月17日に公表した世論調査によれば、既に27%の支持率を集め、労働党(22%)、保守党(15%)を抑え筆頭に立っている。

 

2016年に国民投票で英国のEU離脱が決定された直後、ファラージ氏は「目的を遂げた」「自分の生活に戻る」として党首を辞任していた。さらに、2018年12月には、UKIP自体からも「近頃の急進的な排外主義・反イスラム主義傾向に不賛同」として離党。

このたび、Brexit交渉の混迷に伴い、(離脱を控えているにもかかわらず)英国でも欧州議会選を実施せざるを得なくなったことを受け、新党立上げと当該選挙への立候補を表明したものである。

表明演説においては、現在進行中の離脱交渉を「裏切り行為」と断じ、「自分こそBrexitの救い手」「離脱手続きをしっかり進展させられる」と言明した。さらに、「今回の選挙は第一歩に過ぎず、真の目的は現在の二大政党制に終止符を打つこと」とも述べた。

 

ファラージ氏の立候補宣言により、UKIPの支持率は14%から7%に急落した。世論調査で筆頭に立っていた労働党も二位に転落。新党Brexit党の主たる攻撃対象に挙げられている保守党にとっても大打撃となった。

 

以下、私感となるが、もともとファラージ氏は1999年以降ずっと欧州議員の席を占めており、今回、英国で欧州議会選が実施されるならば引き続き出馬する、という決断自体は特段不思議ではない。

EU懐疑派であるにもかかわらず欧州議会に席を持つ、という状況も、懐疑派だからこそ、EUの「出過ぎた」行動に内部から(民主的掣肘者として)ストップをかけるという意味で、党及び本人の政治的信条と矛盾するものではない。

 

しかし、そもそも国民投票EU離脱が決定するや一線を退いた、その決断自体について責任感の欠如を指摘されたら、ファラージ氏は合理的説明が可能なのだろうか。

そもそもEU離脱を目的として政治活動を行ってきたのであるから、目的が果たされた以上「勇退」することに不思議はない、という説明になろうが、しかるに、EU離脱は未だ明らかに実現していない。

氏自身が非難するように、現下の苦境を招いているのは、英・EU間離脱協定に係る合意の難航であるが、それを招いたのは誰か。離脱を推進し、離脱の利点を訴え、離脱後の英国の姿を高らかに歌い上げてきた陣営が、それを実現する離脱協定の形成に積極的にかかわろうとしなかったのはなぜか。

保守党離脱派の面々にも同じ非難が当てはまるが、この点で、ファラージ氏及びUKIPが、目下の苦境に対し負うべき責任は重いと考える。

 

投票日の5月23日までまだ日はあり、現時点で判断するのは早計だが、もしも冒頭挙げた世論調査どおり、ファラージ氏とBrexit党が英国内第一の票数を集める事態となれば、英国有権者の意識は2016年から何も変わっておらず、あの国民投票の結果も、気の迷いやサイレントマジョリティの投票懈怠によるものなどではなく、英国民の真意なのだと考えざるを得ないこととなる。

 

上述のとおり、ファラージ氏自身は「自分なら離脱手続きを進展させられる」と述べており、改めて離脱を現実のものとすべく行動する意思があるようにも受け取れる。実践されれば、(いささか帳尻合わせ的ではあれど)その一貫性について一定の評価はできよう。

英国民主政治の未来を映す鏡として、今後のファラージ氏の言説及び有権者の支持動向に注目したい。もちろん、相変わらず混迷続く離脱手続きからも目が離せない。

やらでもの政治イベントを新たに抱え込んだ英国政情が、今後もしばらく紙面をにぎわせそうである。

 

 

 

日本の外国人受入れ政策 重要事項時系列まとめ

※随時追加・更新(灰色文字:難民関連)

 

1951 難民の地位に関する条約(難民条約、ジュネーヴ条約)採択

1970 東京都、朝鮮学校に「私立学校教育研究補助金支給開始(以後、他県や市町村でも補助の流れ)

1975 サイゴン陥落(共産主義陣営による南北ベトナム統一)

1979 インドシナ難民受入れを閣議了解

1980 法務省(1980)「入管白書」

  • 日本で他の諸外国と異なり行動成長期に外国人受入れが進まなかった理由: ①人口過密、②単一民族、③農村部→都市部の人の移動、④オートメーション、⑤主婦・学生等外部労働市場依存、⑥長時間労働

1980年代~ 指紋押捺反対運動

1981 外国人研修制度 創設(出入国管理令改正)

1981 日本、難民条約加入

1982 難民認定制度発足

1984 拷問等禁止条約 採択(ノン・ルフルマン原則)

1988 閣議決定「専門的・技術的分野の外国人は受入れ/非熟練は受け入れない」

1989 「外国人子女教育研究協力校」指定(外国人教育政策の本格開始)

1989 「日本語指導が必要な外国人児童生徒数調査」の開始

1990.6 入管法改正

  • 在留資格の種類増(「研修」資格)、専門・熟練職の外国人受入れ範囲が拡大
  • 「定住」資格(活動制限なし)の新設

1990.8 入管法省令告示(平成2年法務省告示第247号)

  • (企業単独型に加え、中小企業向けの)団体監理型研修が認められる

1990年代~ 地方参政権公務就任権要求運動

 

1993 技能実習制度 開始

1995 最判平7.2.28

  • 傍論「外国人への地方参政権付与は違憲ではない(ただし保障もしていない)」

1990年代後半~ 欧州の「要塞化」(移民に対する強硬姿勢)

2001 外国人集住都市会議 創設(市町村レベル)

2001.10 アフガン難民申請者9名、不法入国の疑いで収容

  • 難民申請の際の情報申告が、摘発・収容に用いられた事例として問題視

2002.5.8 瀋陽事件(日本総領事館への北朝鮮亡命者駆込み)

2004 多文化共生推進協議会 創設(主に県レベル)

2004.7 クルド人難民座り込み

2005.1.18 クルド人送還(ルフルマンに当たるとして批判)

2005 入管法改正(難民関係)

  • 「60日ルール」撤廃
  • 難民審査参与員制度導入

2005 総務省「多文化共生の推進に関する研究会」

   → 2006.4 経済財政諮問会議に報告書を提出

   → 2006.12 「生活者としての外国人に関する総合的対応策」

2008 日・インドネシアEPAに基づく看護師・介護士候補者受入れ開始(初例)

2008.12 閣議了解「第三国定住難民受入れ」

2009 日・フィリピンEPAに基づく看護師・介護士候補者受入れ開始

2009 内閣府定住外国人施策推進室 立上げ

2010 入管法改正

  • 技能実習」資格新設(←従来は1年目「研修」・2-3年目「特定活動」)

2012.5 高度人材ポイント制導入

  • 学歴・年収等で加算のポイント70ポイントで在留資格「特定活動」付与

2013.12 高度人材ポイント制改正

2014 日・ベトナムEPAに基づく看護師・介護士候補者受入れ開始

2015.4 「高度専門職」資格新設

2017.4 「日本版高度人材グリーンカード」導入

  • 「高度専門職1号」で3年滞在すれば永住権申請可能なところ、ポイント80以上なら1年の滞在で申請可能に

2018.6.15 『骨太方針2018』

  • 一定の専門性・技能を持つ外国人材に就労を目的とする新たな在留資格を創設

2018.7.24 閣議決定『外国人の受入れ環境の整備に関する業務の基本方針について』

  • 法務省・外国人施策推進室に外国人受入れ体制整備業務を一本化(総・外・文が他の主たる関係省庁)

 

近藤 (2009) 『移民政策研究』創刊号

近藤敦(2009)「なぜ移民政策なのか 移民の概念,入管政策と多文化共生政策の課題,移民政策学会の意義」, 『移民政策研究』, vol.1, 2009.

http://iminseisaku.org/top/pdf/journal/001/001_006.pdf

 

  • 移民の語は多義的。日本ではかつてはemigrantを移民と呼んだ。
  • 国連では「migrant」。国連統計上、多くの国はmigrant=「外国生まれ」としており、「外国籍者」の数値を出しているのは日本・ドイツ等少数派。

  • 移民政策の二つの面→ 出入国管理政策/統合政策
  • 日本には「外国人数」の統計はあるが、「外国生まれの日本人」の数字がない。統合政策の乏しさに起因。
  • スウェーデン:外国生まれの者+国内生まれだが両親とも外国生まれの者 の統計が主
  • オランダ:少なくとも一方の親が国外で生まれた者(=移民1世・2世)
  • フランス:移民(immigré)=外国で外国人として生まれてフランスに住む者

  • 日本の移民政策の特殊性。なぜ高度成長期に他国と異なり外国人移民を受け入れなかったか?
  • 法務省(1980)「入管白書」:①人口過密、②単一民族、③農村部→都市部の人の移動、④オートメーション、⑤主婦・学生等外部労働市場依存、⑥長時間労働
  • 難民受理数極少。厳しい時間的制約・高水準の立証義務(UNHCR, 2001)のほか、申請者の申請中の権利保障の弱さ。

  • 日本の基本方針は「単純労働者は受け入れない」
  • しかし、1990年改正入管法法務省告示→日系人とその家族に(就労可能な、活動制限のない)「定住者」の在留資格
  • 在日3世への「特別永住者」とのバランス? しかし、4世以降は特別永住者を認めつつ定住者を認めるのは慎重。
  • 1993年、技能実習制度。
  • 非正規滞在者への「一般アムネスティ(=一定基準を満たす非正規滞在者の一括正規化)にはドイツ同様慎重。

  • 「統合政策integration policy」の多義性。
  • オーストラリア: 同化政策 → 統合政策 → 多文化主義政策 という政策の歴史
  • 欧州: すべて含めて「統合政策」と呼ぶ。多文化主義的統合政策(スウェーデン)、同化主義的統合政策(フランス)
  • 日本では「多文化共生」の名。ただし政策的に確立した語ではない。(憲法1条「天皇は日本国民の統合の象徴」との関係?ただしこの統合=unity)

  • 外国人集住都市会議(2001年設立、群馬・静岡・長野・岐阜・愛知・三重・岡山より15市町)
  • 外国人子弟への「教育の義務化」が必要との提言。誰にとっての義務? カリキュラムは?

  • Niessen et al (2007): EU各国の統合政策の到達度を数量評価。
  • ①政治参加、②労働市場参加、③家族呼び寄せ、④永住権、⑤国籍取得、⑥差別禁止法制 に基づく。